テレビゲームといえば子どもの遊び道具であり、「ゲームでばかりしないで、勉強しなさい」と怒られる遊びの一つでした。今ではゲームソフトによってはe-Sportsというスポーツに進化して賞金も付いています。
 「スポーツというものは体を大きく活用して行うものである」と考える立場からしますと、陸上競技やサッカー、野球、柔道などはスポーツといえても、ゲームをピコピコすることはスポーツではないといわれそうです。
 一方で、走ったりする運動が苦手な人にとって、ゲームを極めれば生計を立てられる可能性が出てきていることは喜ばしいことかもしれません。
 しかし、ゲーマーもユーチューバーも一握りの才能がある人を除けば、生計を立てることは難しいといわれています。
 「将来プロゲーマーとして生計を立てるための練習としてゲームをしている」と子どもから言われても親はなかなか納得できるものではないように思います。
 また、ゲームはスポーツだといわれても、親としては外で走ったり、サッカーやバスケットボールなどの体を動かす運動(遊び)をしてほしいと思うことが少なくないように思います。
 今後価値観が変わり、ゲームというものが受け入れられる可能性もありますが、スポーツ(運動)という点でいえば、体を大きく使う運動が子どもの成長には大切であることに変化はないように思います。
 ところで、ゲーム開発者になためにゲームをしているという考えがあります。たしかに、人々を魅了するゲームを分析することは開発者になれないにしても、仕事の役に立つかもしれません。また、アイデアを浮かばせ創造性を育てるきっかけになるかもしれません。しかし、そんなことを考えてゲームをすることが楽しいのかという疑問は残ります。
 ゲームで遊びたいための方便として屁理屈を言うという行為自体が子どもの成長ともいえますが、子どもの未熟さを指摘することは親の務めといえます。 将来は不確定な要素ばかりです。ゲームをしていたことが役に立つかもしれませんし、時間の浪費で終わってしまうかもしれません。ただ、子どもにとっては、そのゲームをしていた時間は楽しい時間であることは確かなことです。
 ゲームに関する考え方は各家庭によりますが、テレビゲームと聞いただけで反射的に反対するような態度では何も考えていないことと同じですから、功罪について検討し、子どもにとってよいゲームとの付き合い方が決められることが願われます。