「死ぬ気になれば、何でもできる」というような言葉をこれまで何度も耳にしました。
確かに、「命あっての物種」という言葉があるように、生きているから何かができて、死んでしまえば何もできないという考えに立てば、死という選択ができるのなら、その他の選択が可能(何でもできる)といえるのかもしれません。

 しかし、死にたい人の中には人生を終わらせることを目的にしている場合もあります。そんな人にはこの言葉はあまり意味をなさないかもしれません。
 

 意地悪にこの言葉を捉えると、昨今話題になっている「周りを巻き込んで自殺しようとする人」には都合のよい言葉かもしれません。
 何もかもなくなる死の直前であれば、何をやっても現世の私は負うものはないといえます。

 明日も生きていこうとしている人にとってのこの言葉の意味は、今日も絶望している人にとってはその意味が違います。励ましているつもりでも、相手を追い込む言葉として届いているかもしれません。一々そんなことを気にしていたら話ができないという声が聞こえてきそうですが、精神的に不安定な状態の人にかける言葉は慎重にありたいとふと感じた今日でした。