坂口健太郎さんを見ていると自動車の「ラパン モード」を思い出します。CM商品とタレントが結びついているとタレントの不祥事は商品の傷になるのだと実感しました。
松下由樹さんが不倫に走れば朝の食卓のパンは味を変えるかもしれません。新垣結衣さんが不倫に走ればチョコレートとお茶が変わるかもしれません。綾瀬はるかさんが不倫に走れば家電が変わるかもしれません。
HさんとKさんの不倫騒動でCMや出演番組の終了が話題になりましたが、CMについてはその商品の顔のような面があるため、特にファミリー層を対象とした住宅会社や生活用品のCMは商品の毀損につながるのでしょう。
という関係ない話は以上にします。
最近、映画「俺物語!!」を見ました。永野芽郁さんと鈴木亮平さんの恋模様を楽しめる作品です。高校時代の甘酸っぱい青春の記憶を思い出させてくれる作品です。そこには、甘さや酸っぱさや苦さなどがあります。若いからこそできたことがあります。
フィクション作品に対してこうすればいい、ああすればいいというような考えは野暮な話ですが、「ただ一言、言葉にすればいいのに」と思いながら見ました。永野芽郁さんのかわいさや鈴木亮平さんのかっこよさ、坂口健太郎さんの優しさなど楽しめる要素がたくさん詰まっているので、私はキュンキュンしながら2人の今後を見守りました。
青春といえば、10代や20代のある時期をさして使われることが多いと思いますが、サムエル・ウルマンの詩にはこんな一節があります。
” 青春とは人生のある期間をいうのではなく心の様相をいうのだ “
たしかに、10代、20代のようなあふれる身体的エネルギーや精神的なエネルギーは年を重ねると失われていきます。しかし、心の有り様はいくつになっても、コントロールできます。あの頃の情熱には負けたとしても、今の自分が諦めなければ、そこには青春といえる時を持つことができます。80代になっても、恋をすることはできますし、何かに挑戦することもできます。
俺物語!!のような淡い春の日々は、「恋愛とは寝ること」となる人には体験できない、ある時期限定の心の模様かもしれません。しかし、生物としての性が終わり精神的なつながりを必要とする時期を迎えることができれば、淡い春を感じられるかもしれません。
高齢になっても恋愛はできます。しかし、相続財産を子どもが当てにしている場合、高齢な親の恋愛について反対します。もちろん、欺されて傷つくことが心配だという子もいます。また、判断能力が落ちて分別が付かなくなっているからという話もあります。亡くなったお父さん(お母さん)がかわいそうだという子もいます。しかし、親の人生は親のものという考えに立つと、傷つくことも、欺されることも、人生を瞬間的であっても豊かにできることも、すべては親の選択といえます。
家族とというものに縛られることで享受できる利益もあります。自分の利益だけを優先すればそれらを失うことになります。
自分にとってどの選択が良いのかは死の瞬間までわからないかもしれませんし、ある時期に人生を振り返り良かったと思えたり、後悔を感じたりするかもしれません。
この映画を見ることで、「恋とは」「青春とは」「人生とは」を考える機会になりました。